天正十八年七月五日、北条早雲以後四代にわたり関東八州を統治した小田原北條氏もついに豊臣秀吉に滅ぼされ、秀吉はその年の八月一日、徳川家康に関東八州を与えました。これを家康の関東入府といいます。家康は秀吉から江戸城を居城とすることをすすめられましたが、各地をまわり、居城とすべき地を視察しました。
天正十九年九月の当社控書きによれば、家康公が関東御下向の際当社に御立ち寄りになり、しばらくご休息されて当社の由緒などをお尋ねになりました。これによって家康は当社に五石の朱印を付して神領としました。
以後、二代目将軍秀忠は元和三年三月二七日、三代家光は寛永十三年十一月九日に先例に任せて五石の社領を寄進し、ひきつづき各将軍の朱印を得て幕末に及びました。