皇室との関係
明治元年10月12日、東京遷都の際をはじめとして、同年12月8日・翌2年3月27日の明治天皇京都・東京行幸の際に、当社に行幸され、内侍所とされました。(内侍所とは、宮中賢所にあたります。)明治2年、英照皇太后東京行幸の際にも当社にお立ち寄りになられました。
明治元年から用いている菊花の御紋章は、本来官国幣社にのみ許されているものです。
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源氏との関係
後冷泉天皇の御代、康平5年(1062年)、朝廷の命を受けた源頼義・義家両朝臣が陸奥の安部貞任・宗任を討伐することとなりました。前九年、後三年の役のことです。お二人は当社に戦勝祈願奉幣され、また、戦勝後も再び奉幣されました。名残として、4月30日に羽田沖にて、海上祓式(汐盛講)が執り行われています。
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徳川家との関係
天正18年(1589年)、家康公の東海道御通行の際、御愛蔵の左文字壱振りを当社に奉納され、天正19年11月には、御自身の武運長久を祈られて、神領五石の朱印を寄進されました。
その後幕末まで、歴代将軍より朱印を寄進されるなど、幕府の崇敬も篤く、関ヶ原の戦い、大阪冬の陣には、秀忠公の戦勝祈願の参詣も受けています。
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上杉家との関係
当社の祠官、鈴木氏は紀伊熊野の出自で、室町時代より江戸時代を通じて当社に奉仕してきました。また室町期には代々上杉氏につかえるなど、神職であると同時に武士としても数々の勲功をあらわしています。
この鈴木氏の、歴代神官の武士としての活動は、わが国の戦国時代において、神社を維持するだけでなく、多くの武将の衰微を見守ってきたのです。